昨日は娘と別居して初めての休日だった。
娘は「昼ごろには帰るから」と言っていた。
娘のパソコンはこっちに置いたままだし、
娘の好きなCS放送もこちらでしか見れないので
昨日はこっちでのんびり好きなことをして過ごそうと思っていたようだ。
私は土曜日の夜から彼氏と外泊していた。
娘のいないこの家には、
本当は彼氏を泊められない理由はもうないのだけれど
何か少し抵抗がありいつものようにホテルに泊まった。
翌日は彼氏も休日だったので
いつものようにランチを食べに行き
少しブラブラとショッピングをしてから帰ることになった。
彼は午後からも珍しく暇だったようで
「お前の家に行こうかな」と言う。
今までも暇な休日、彼が遊びに来ることはあったが、
はっきり言って娘はあまり歓迎してはいなかった。
顔見知りだし、彼氏は何かと娘にも良くしてくれるし
娘も顔だけはにこにこして「いらっしゃい」と言うのだが
内心で良くは思っていないのは私にはわかっていた。
人嫌いの上、内向的な性格で、
プライベートな空間に他人が入って来られる事への抵抗感と
また、娘は彼氏の「自由人」ぶりを良く知っているので
母である私への彼氏の態度にもかなり不満があるらしく
「お母さんも苦労するわね」と常々言っていた。
そして、昨日。
私は「家へ来たい」と言った彼氏に
どうしようかなと思った。
数日振りに家に帰って寛ごうと思っている娘と
鉢合わせと言うことになる。
迷った末、私は「いいわよ」と彼に返事した。
私たちが帰宅した時、娘はすでに帰っていて
お昼ごはんを食べていた。
一緒に帰宅した私たちを見て、
明らかに娘は不機嫌になったけれど
私はあえて無視した。
この「儀式」は「親離れ、子離れ」の儀式なのだ。
私が彼氏より娘を優先していたら
元も子もないだろう。
以前なら娘と私の家に「邪魔者」である母親の男が来ているという図式だったのが、
今回は母親が男と一緒にいる家に出戻ってきた「邪魔者」の娘と言う図式になったと、
娘は感じたはずだった(本当は誰もそんな風には思っていないのだが
娘のことだからきっとそう感じたはずだった)
でもその空気すら私はあえて無視した。
大人になって、娘よ。
私も大人になるから────。
娘は洗濯などさっさと用事を済ませると
楽しみにしていたパソコンもCSも見ずに
そそくさと帰って行った。
自分の居場所はもうここではなく、
一人で暮らすあの家だと感じて欲しい。
この家にいるより、
一人住まいのあの家のほうが
居心地がいいと感じて欲しい。
でなければ今回のこの「分離の儀式」は
失敗に終わってしまう...。
夜になり、彼氏を家に帰した後、
私は娘に電話した。
「ご飯でも食べに行こうか」
娘は私が彼氏と一緒だと思ったらしく
「今食べたばかりだから...」と渋ったが
「二人で食べに行こう」と私が言うと
「うん、行く」と言った。
娘の家で娘の車に乗り換えて
少し遠くのファミレスに行った。
いつも良く行くファミレスなのだが、
昨夜はいつもと感じが違う。
誘い合わせて一緒に食事しに来た
別々にすむ母と娘、なのだ。
今までのように一緒に住んでいて
帰る家も一緒の二人ではない。
「こういうことの楽しみも増えたね」と私は言い、
娘も「本当ね」と笑った。
自立した大人と大人の親しい関係は
依存し合い馴れ合って暮らしていた関係より
ずっとお洒落で心地いいのよ。
そう気づいて欲しいから
私は娘を誘い出した。
私は娘に提案した。
「私が誘ったのに何だけど半分出してくれない?」
「いいけど、何で?」
「今日は『母の日』だから」
あっと気づいたように娘は「いいよ」と言った。
同居していたら取り立ててこういう節目の行事も
気にせずに過ごしてしまうが
別に暮らしていれば「大人の礼節」の感覚も取り戻せる。
離れて暮らす息子夫婦からは
きちんと昼間「母の日」の感謝の電話があったし
私も離れて暮らす母にきちんとお花を贈った。
こう言う事は大切な「大人のマナー」だ。
べったり同居していたらつい気がつかず過ごしてしまう。
娘に半分出してもらって、
ささやかながら娘に「母の日」を祝ってもらい
それぞれの家に帰宅して、私は一人の家のリビングに
ゆったりと腰を下ろした。
しみじみ一人になったこの家を見回して
「寂寥感と解放感と充実感」の入り混じった
複雑な心境をかみ締めた。
やがてこの感覚が「当たり前」と言う感覚に
取って代わられる日が来ることを
経験だけは積んでいる「大人」な私は知っている。