子供の頃の願いは
憧れた職業に就く事だった。
誰しもがそうなように、
私も人並みにいろいろな職業に憧れた。
子供の頃、私はバレリーナになりたかった。
母にせがんで
クラシックバレエの教室に通い始めた。
憧れのトゥ・シューズは履いたが
2年ほど経った頃、私は思春期でメキメキと太りだし
同期の子らには役がつくのに私はいつまでも群舞のままで
そのうち嫌になり辞めてしまった。
もっと幼い頃は
その頃はやっていたテレビドラマの影響を受け
スチュワーデス(現在はキャビンアテンダントと言うらしい)になりたかった。
母の影響で
宝塚に入りたいと思ったこともあるし
アイドル全盛期と言うこともあり
歌手に憧れてオーディションを受けてみたりもした。
でもそのどれもがうまくいかなかった。
私には何の才能もないのだと思い
悲しかった。
(別れた)夫と出逢ったのは
私が17になったばかりの頃だった。
子供の頃からの私の願いは、
なりたい職業に就くと言うことと
後ひとつは「早く彼氏がほしい」と言うことだった。
一人っ子の上、
父はかなり年齢がいっていた事と
もとより温厚で優しい性格のため
私の家庭には生々しく「男」を感じる存在がなかった事で
私はかなり早くから「男の子」に興味があった。
早く一人の人と親密な関係になりたかった。
そんな私に
当時23歳だった元・夫は優しかった。
後で知ったことだが
夫には当時好きな人がいたらしいのだが
その人には見向きもされなかったので
初心そうな私にこなをかけたそうだ。
案の定私はたちまち夫に夢中になり
一生懸命幼い恋をして、
親の反対を押し切り夫と一緒になった。
好きな人と一緒になれた私は嬉しくて
もう「何かになりたい」などとはこれっぽっちも思わずに
ままごとのような結婚生活に幸せを感じていた。
彼のためにお料理をして
彼のために部屋を居心地良くしつらえ
彼の帰りを待つ生活を心から楽しんでいた。
もともと夫は大のパチンコ好きで、
つきあい始めた頃からデートはいつもパチンコ屋、
(興味のない私は横に座って見ているだけ)
結婚してからも毎晩パチンコをして帰る有様で
帰りはいつも午前様、
休日も一緒に出かける先はいつもパチンコ屋、
相変わらず私はずっと彼の隣に座って
彼がパチンコをしている横顔に見惚れていた。
何時間も、何時間も。
今考えれば最初から「そんな男」だったのだと気づくのに、
当時の私はわからなかった。
彼の全てを愛していた。
そんな私が彼に対し、
初めて「落胆」し「失望」したのは
「お酒」がらみの事だった。
彼は家でも外でもお酒を飲む習慣はなく
(無論付き合い程度には飲める口だったのだが)
勿論私もお酒など飲んだこともなかったが、
大人のムードを感じる「お酒」には
まだ十代だった私にはかなり憧れがあった。
ある日、夕食後に夫と散歩がてら
近所のスーパーに出かけ
初めてウィスキーを買ってみた。
ハムや少し高級なチーズなども買い、
帰宅して私はいそいそとつまみを作り、
水割りの準備をして彼を食卓に誘った。
夫婦で水割りと美味しいおつまみを愉しみながら
いろいろな事を語り合う───
そんな優雅な時間を楽しみたかった。
それに対する夫の反応は、
「馬鹿馬鹿しい、くだらない」
だった。
あの時の失望した気持ちは約30年経った今でも
よく覚えている。
この人とは高尚な時間を共有することは出来ない───
まだ十代だった私にも
はっきりとそれはわかった。
パチンコとごろ寝と。
それしか興味のない人だった。
それから約30年。
私はまぁ自慢できる程ではないが
何とか自営の店も持ち、
子供たちにも大事にしてもらえ
小さいながらも誰にも侵略されない
居心地のいい家がある。
でも夫は.....
詳しくは書けないが、
先日「金を貸してくれ」と再三の無心があり
それは断ったのだがどうしてもお金に困っていると言うので
ほんの少しだけ持っていた金のアクセサリーを
まとめて全部渡してやった。
元・夫は「換金してから現金をくれればいいのに」などと言っていたが
さすがに「助かるよ、ありがとう」と受け取ったのだった。
直接の受け渡しは子供がやった
(私は逢いたくなかったので)
だからこのやり取りはすべて電話でなのだが
私は電話を切る時最後に、
「もうこれっきりにしてね」と告げた。
電話をされるのも、お金の無心も。
元・夫は「わかった」と言った。
可哀想な人だと思った。
お金に縛られ、執着し、
だからギャンブルにのめり込み、
身を持ち崩すことになってしまった。
意志の弱さは子育てにも表れ、
離婚後、夫とともに暮らした長男に振り回され、
それが今の事態を引き起こす要因のひとつともなった。
本当は弱い、優しい人なのだ。
優しいからこそ、子供にも自分にも甘く、
それが今の事態を引き起こしてしまったのだ。
元来気の強い私は
夫に失望してからは徐々に妻としての可愛らしさを無くし、
夫に事あるごとに刃向かっては
殴られたり蹴られたりした。
何度か骨を折られたりしたが
それすらももう遠い日々の事だ。
私は最近良く考える。
時節柄、お客の少なくなった自店の中で
ぼんやりと客待ちをしている時、
幼い頃に抱いた「お酒」への憧れが
今のこの仕事に私を導いたのだと。
あの日、夫と楽しむことが出来なかったこの空間を
他の人と共有するこの仕事が好きなのだと。
そして、幼い日に抱いた「願い」そのものが
間違っていたのだなと気づかされる。
私は決して「何かになりたかった」訳ではなく、
「自分と価値観の合う、男らしい男と出逢わせて下さい」と
願うべきだったという事に。
もしそう願い、それが叶っていたなら、
私は決して今の仕事を選んだりしてはいないだろう。
仕事どころか
離婚すらきっとしていない。
きっと、その「男」のために
ずっとお料理を作り、居心地良く部屋をしつらえ
その「男」のためにだけ生きただろう。
私という女は
実はそんな女だったのだ。
最初に抱いた「願い」そのものが間違いだった事に、
今更ようやく気づいたのだった。
次男が帰って来て
独り暮らしではなくなったせいか
シングルについての日記が書けなくて放置気味です。
今日はその次男の職安の説明会で
待ちぼうけの私は近くのショッピングセンターをうろうろ。
昔から「家」「暮らし」「料理」こういったものに
憧れがある。
「家」とはいわゆる「持ち家」や「マイホーム」と言う意味ではなく
自分の「住処」とか「寝るところ」と言ったような意味合いで、
「暮らし」とは「生活」、「料理」は作ることに興味があると言うよりは
「料理を作る」=「生活」と言う感じで、
つまりは「生活そのもの」にとても深い憧れや思い入れがあるようなのだ。
今日も本屋の、「暮らし」「生活」「料理」などのコーナーで
思いのほかじっくり見入ってしまった。
気に入った暮らしを、
子供の頃から追い求めていたような気がする。
いろいろな職業に就きたいと願ったり、
いろんな夢は描いたけれど、
ほんの小さな小学生の頃の
私の「夢のお絵かき」の内容は、
いつも「理想の家」の「間取り図」だった。
ここにこんな長い渡り廊下があって
二階のベランダはこんなに広くて、
廊下の壁には中庭が見えるように窓がついている。
そんなのを画用紙一杯に描いては
父に「いつかこんな家に引っ越そうね」とか言って
父を苦笑いさせていた。
「料理」についても、
単なるレシピにはあまり興味はなく
「保存食」とか「常備菜」と言う言葉に弱い。
思うに、
私はずっと「恒久的なもの」「変わらぬもの」に
憧れ続けているのではないだろうか。
現実には変化の多い人生を歩んでいるが、
本当に望んでいるのは
ずっと変わらない「落ち着いた安定した暮らし」───...。
きっと、
子供心に「自分は絶対にそんな人生は送れない」と
薄々感づいていたのではないだろうか。
本屋で見た「季節ごとの保存食」と言う本の著者のHPを
帰って早速PCでチェックし、
「お気に入り」に登録しながらそんな事をふっと思った。